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2024年4月21日日曜日

山中湖

 







山中湖



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(引用編集)

山中湖

1975年

1975年の航空写真(国土交通省、国土画像情報より作成)

所在地 山梨県南都留郡山中湖村

位置

山中湖の位置(日本内)山中湖

北緯35度25分0秒 東経138度52分30秒座標: 北緯35度25分0秒 東経138度52分30秒

面積 6.57[1] km2

周囲長 13.87[2] km

最大水深 13.3[2] m

平均水深 - m

貯水量 0.06392[3] km3

水面の標高 980.5[2] m

成因 堰止湖

淡水・汽水 淡水

透明度 8.0 m

 プロジェクト 地形

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山中湖(やまなかこ)は、山梨県南都留郡山中湖村にある淡水湖。富士五湖のひとつ。


面積は6.57km2あり、富士五湖の中で最大の面積を持つ。また、湖面の標高は富士五湖の中では最も高い位置にあり、日本全体でも第3位。逆に水深は富士五湖の中で最も浅い 13.3m。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。山中湖村は山中湖を囲むように位置する。


形が牛に似ているので、別名は臥牛湖である[4]。


「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。


地勢[編集]

富士北麓に点在する富士五湖の中では最も東に位置する。山中湖は相模川の源流である。なお、相模川は山梨県では桂川(かつらがわ)と呼ばれている。また、山中湖は富士五湖で唯一 天然の流出河川を持った湖でもある。湖面の形は北を上にして見ると鯨の形に似ている。


湖面標高が高く、また水深が浅いことから、厳寒期には全面結氷することもあり、近年では2006年(平成18年)1月10日にほぼ全面の結氷が確認された。砂嘴の「みさき」(通称大間々岬)で区切られる部分を平野湾処(ひらのわんど)と呼ぶ。


湖の南側中央部湖岸付近の湖底に、『タカヒク』と呼ばれる起伏に富む場所があり[5]、これには火口説や溶岩説がある[6]。



富士山から見た山中湖

手前の草地は北富士演習場


山中湖からの逆さ富士


相模川(桂川)の山中湖流出口。奥が湖側


湖東側の鉄砲木ノ頭(明神山)から望む

地史など[編集]

延暦大噴火により流出した溶岩流のひとつである鷹丸尾(檜丸尾第二)溶岩(噴出点は未詳の側火口)が桂川を堰止め、山中湖が形成された。なお、かつて宇津湖という大きな湖があり、この溶岩流で山中湖と忍野湖(古忍野湖)に分かれたという俗説があるが標高差の地形的観点および山梨県環境科学研究所のボーリング調査により、この湖の存在は否定されている[7][8][9]。

2013年(平成25年)6月22日 - 富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。

生物[編集]

平野湾処(ひらのわんど)は水深が浅く、コイやウグイ、ワカサギが生息。明治期にはヒメマスの放流が試みられたが失敗し、1919年(大正8年)に、東京帝国大学教授の雨宮育作により、ワカサギの試験放流が成功し、ウナギやコイなどが放流された。近年では山中湖漁業協同組合により養殖されたブラックバスが放流され、釣り人が多く訪れる。 比較的、波が穏やかなため冬期は結氷する事もあり、ワカサギの穴釣りが楽しめる。 また「みさき」のズミの大木は山中湖村の天然記念物に指定されている。


平野地区の通称・ママの森の沖合には、フジマリモが生息することが、1956年(昭和31年)に小学校の授業中に発見された。通常、高緯度地方に生息するマリモの分布南限であることから、山梨県の天然記念物に指定されている。


湖畔[編集]

山中湖は朝夕の風景や富士山の眺望スポットが多数存在すること等から内外から観光地として人気があり、年間約400万人の観光客が訪れる。朝方や夕方には湖岸に写真撮影に訪れる人や、春夏期には貸自転車や貸ボートを楽しむ観光客を多く目にする。


旭日丘地区の山中湖園地を中心に、ホテルや旅館、民宿などの宿泊施設やレストラン、企業や大学の保養所、文学館、美術館、が点在し、周辺には別荘地も整備されている。


まとまった平地が広がる平野地区には、テニスコートが多くあり、南関東等からのテニス合宿地として知られている。平野地区と山中地区に、村営の日帰り温泉施設(石割の湯、紅富士の湯)がある。村民は、専用のカードを提示することで、割引料金で入場できる。北側の石割山と大平山を、東海自然歩道が通っている。


湖岸にはサイクリングロードがあるが、湖西端 国道138号線が湖と接する明神前交差点から村役場付近まで約2.5 km程度の区間で途切れており、一周するにはその区間、歩道を走るか車道を自動車と併走する必要がある。サイクリングロードとしては1周13.5 km程度の高低差の少ないルートである。国道138号から国道413号、山梨県道730号・神奈川県道730号・静岡県道147号山中湖小山線にかけて、2020年東京オリンピックの自転車競技(ロードレース)のコースとして使用された。


湖畔の施設一覧[編集]

山中湖村役場

山中湖文学の森公園 - 三島由紀夫文学館、徳富蘇峰館、山中湖情報創造館、風生庵、蒼生庵、山中湖観光案内所

森の駅旭日丘 - 旭日丘バス停

山中湖園地

旭日丘湖畔緑地公園

サレジアン・シスターズ山中修道院

テディベアワールドミュージアム

山中湖美術館

山中湖交流プラザ きらら

ペーパームーン

デニーズ

山中湖温泉

石割の湯

紅富士の湯

エクシヴ山中湖

ホテルマウント富士

マリオットホテル山中湖

千葉大学山中寮

東京大学山中寮、内藤セミナーハウス

明治大学山中セミナーハウス

交通アクセス[編集]

中央高速バス新宿富士五湖線、東京駅鉄鋼ビル~富士五湖線

富士山駅・河口湖駅・御殿場駅・三島駅から富士急行バスの路線が存在する。

東富士五湖道路山中湖インターチェンジが湖の西北西にある。

国道138号が湖の南西岸を通る。

国道413号が湖の南東岸を通る。

山梨県道730号・神奈川県

2024年4月14日日曜日

富士五湖

 




富士五湖

赤池・忍野八海

名前の由来

世界遺産問題

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富士五湖


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富士山と富士五湖


富士山と富士五湖周辺の地形図

左から本栖湖、精進湖、西湖、河口湖、山中湖である。

左端中段やや下の小さな湖は人造湖の田貫湖でこれは富士五湖ではない

富士五湖(ふじごこ)は、山梨県側の富士山麓に位置する5つの湖の総称。下記の5つの湖を指す。富士急行の創設者である堀内良平によって命名された[1]。


本栖湖 〈もとすこ〉(富士河口湖町、身延町)

精進湖 〈しょうじこ〉(富士河口湖町)

西湖 〈さいこ〉(富士河口湖町)

河口湖 〈かわぐちこ〉(富士河口湖町)

山中湖 〈やまなかこ〉(山中湖村)

いずれも富士山の噴火による堰止湖で、富士箱根伊豆国立公園に指定されている[2]。2011年(平成23年)9月21日に富士五湖の名称で5湖とも国の名勝に指定され[3][4]、2013年6月22日には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の一部として五湖すべてが世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。[注釈 1]


地理[編集]


富士五湖のランドサット衛星写真。河口湖から山中湖にかけて街が発展しているのがわかる。

表示全ての座標を示した地図 - OSM

自然流出する河川を持つ湖は桂川(相模川)の源流である山中湖のみで、残る4湖は内陸湖である。ただし、水位調整や発電用として河口湖、西湖、本栖湖には、それぞれトンネルによる人工放水路が作られており、中でも河口湖からの放水路は古くから新倉掘抜として下流域に水利権があるため、河口湖は相模川水系の一級河川となっている。


残る西湖、精進湖、本栖湖の3湖およびそこへ流入する河川は二級河川であるが、内陸県に二級河川が存在するのは全国でも、山梨県のこの3湖だけである。西湖、精進湖、本栖湖は、かつては剗の海(せのうみ)という一つの大きな湖であり、水面の標高が連動しているため、地下で水脈を共有していると考えられている。


富士五湖の一覧[5][6]

航空写真 湖名 面積 最大水深 周囲 水面の標高 貯水量 座標

もとすこ

本栖湖 4.70 km2 121.6 m 11.82 km 900 m 0.316 km3 北緯35度27分50秒 東経138度35分8秒

しょうじこ

精進湖 0.50 km2 15.2 m 6.80 km 900 m 0.0035 km3 北緯35度29分27秒 東経138度36分30秒

さいこ

西湖 2.10 km2 71.7 m 9.85 km 900 m 0.08085 km3 北緯35度29分53秒 東経138度41分11秒

かわぐちこ

河口湖 5.70 km2 14.6 m 20.94 km 830.5 m 0.053 km3 北緯35度31分4秒 東経138度45分22秒

やまなかこ

山中湖 6.80 km2 13.3 m 13.87 km 980.5 m 0.06392 km3 北緯35度25分0秒 東経138度52分30秒

航空写真の列のソートボタンで元の順序に戻る。

赤池・忍野八海[編集]

非常に雨が多く降った時には、最も湖水面積が狭い精進湖の南東に「赤池」という長円形の小さな池が稀に姿を現すことがあり、これを「富士六湖」「富士五湖の6番目」などと言う。ただし、大きさは他の湖よりずっと小さく直径50m程度である。近年では1998年、2004年、2011年[7]などに見られた。


富士五湖に含まれない湧泉群の「忍野八海」は、元は山中湖とともに「宇津湖」という一つの湖であったものが、800年-802年(延暦19年-21年)の富士山延暦噴火により二つに分かれてできた「忍野湖」の名残であるとする俗説が流布しているが、学術上では宇津湖の存在は否定されている[8][9][10]。


名前の由来[編集]

1927年(昭和2年)、東京日日、大阪毎日新聞(現毎日新聞)は、鉄道省後援で「日本新八景」選定のため国民の葉書投票を企画した。部門は湖沼・河川・温泉・山岳等八部門、富士北麓の各湖はそれぞれの名前で湖沼の部に投票をはじめていた。しかし、バラバラ投票では効果が上がらなかった。


江戸時代には富士講において現在の「富士五湖」に四尾連湖、明日見湖、泉津湖もしくは須戸湖を加えた「富士八海」の呼称は見られるが、「富士五湖」の呼称は見られない。「富士五湖」の呼称は、1977年(昭和52年)に富士急行から刊行された『富士山麓史』によれば「この時、堀内良平の胸にひらめいたのが『富士五湖』の名であった。(略)良平は新聞社に行き『富士五湖』の新名称で投票することの了解を取るとともに、自社の株主に一株一枚の投票を呼びかけた。締め切りまでに富士五湖に寄せられた票は360万票、湖沼の部日本一となったで ある。審査の結果「富士五湖」は「日本二十五勝」に選定された[1]。


世界遺産問題[編集]

富士山の世界遺産登録をめぐり、富士五湖を含めるかどうかについて、意見が分かれていた。


事の発端は、2006年に山梨県が「富士五湖を含めることで検討中」と発したところ、富士河口湖町と観光協会などが反発、これを受け、山梨県は一度は富士五湖を外すことになった。しかし、富士山が世界遺産暫定リストに登録された際、文化庁が「富士五湖を含めないと富士山として不完全」との見解を示したことから問題が再燃している。


富士河口湖町と観光協会が反対する理由として、富士五湖が世界遺産に含まれた場合、観光開発や富士五湖名物であるバスフィッシングやワカサギ釣りを含めた富士五湖の漁業が制限され、住民の生活に支障をきたすおそれがあるからである[11]。


2011年、世界遺産登録の前提としての、五湖の文化財指定申請が行われた[12]。


2013年6月22日には富士山の世界遺産登録が決定。河口湖と山中湖はそれぞれ個別の構成資産として、本栖湖、精進湖、西湖は「富士山域」という一つの構成資産の中の一部として五湖全てが世界遺産に登録された。


脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

^ ただし、「富士五湖」として一括の登録ではなく、河口湖と山中湖がそれぞれ個別の構成資産として扱われ、本栖湖、精進湖、西湖は「富士山域」という一つの構成資産の中の一部となった。

出典[編集]

^ a b “富士五湖、本当は八湖? 富士急の開発で名称定着”. 日本経済新聞 (2013年5月28日). 2021年6月14日閲覧。

^ “富士箱根伊豆国立公園の区域図” (PDF). 環境省. 2012年2月1日閲覧。

^ 2011年(平成23年)9月21日文部科学省告示第141号「名勝に指定する件」

^ 報道発表「史跡等の指定等について」 (PDF) 文化庁

^ “富士五湖”. 山梨県. 2012年2月1日閲覧。

^ 湖沼湿原調査 国土地理院

^ 富士 表情豊か読売新聞、2011年9月25日、同日閲覧.

^ 出典 : 富士山北麓の湖底堆積物から湖形成史を探る (PDF) 輿水達司、内山高、吉澤一家 - 地球惑星科学関連学会2004年合同大会予稿集、2013年7月閲覧

^ 出典 : 富士山北東麓古忍野湖の地質と化石 - 国立科学博物館地学研究部 藤山家徳、2013年7月閲覧

^ 出典 : 富士山延暦噴火の謎と『宮下文書』 - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人、2013年7月閲覧

^ 渡辺悌二、海津ゆりえ、可知直毅 ほか、観光の視点からみた世界自然遺産 (PDF) 国際環境研究協会 地球環境 13(1), 123-132, 2008, NAID 40015918847

^ 富士五湖の文化財指定を申請 山梨県、世界遺産目指す 日本経済新聞 2011年2月1日

関連記事[編集]

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ウィキメディア・コモンズには、富士五湖に関連するメディアがあります。

日本の湖沼一覧

逆さ富士

外部リンク[編集]

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カテゴリ: 富士五湖観光圏山梨県にある国指定の名勝日本の名数5

十和田湖

 





十和田湖


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(引用編集)

十和田湖


北岸の御鼻部展望台から


十和田湖の位置(青森県内)十和田湖

十和田湖の位置

所在地 日本の旗 日本

青森県十和田市

秋田県鹿角郡小坂町

位置 北緯40度27分53秒 東経140度52分38秒座標: 北緯40度27分53秒 東経140度52分38秒

面積 61.10[1] km2

周囲長 46.0 km

最大水深 326.8 m

平均水深 71.0 m

貯水量 4.19 km3

水面の標高 400 m

成因 カルデラ湖

淡水・汽水 淡水

湖沼型 貧栄養湖

透明度 9.0 m

 プロジェクト 地形

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十和田湖(とわだこ)は、青森県十和田市と秋田県鹿角郡小坂町にまたがる湖である。最大水深は326.8 mで、日本の湖沼としては第3位である[2]。なお、面積では日本の湖沼としては12番目である[3]。東岸には奥入瀬川が存在し、北東に約14 kmにわたり奥入瀬渓流が延びる。約20 km北には八甲田山が位置する。


概要[編集]

1936年に周辺の奥入瀬渓流、八甲田火山群と共に十和田八幡平国立公園に指定された。青森県を代表する観光地となっており、「十和田湖および奥入瀬渓流」として文化財の特別名勝及び天然記念物(天然保護区域)の指定も受けた。


西湖一帯は全国唯一の湖を登録したみなとオアシスで、観光拠点ともなっている。冬季を除き、遊覧船が就航している[4]。


内水ながら、国の地方港湾に指定されている港が2つ存在する。奥入瀬渓流入り口の子ノ口(ねのくち)港と、十和田湖南岸の中山半島西側付け根に位置する休屋(やすみや)港である。


国会議事堂の中央広間の四隅を彩る日本の春夏秋冬を描いた油絵のうち、夏の題材とされている(田中儀一作『十和田湖と奥入瀬』)[5][6][7]。


地理[編集]

十和田湖を擁する山地は、その北に位置する八甲田山と同じく、カルデラを有する火山群である。約20万年前から約15万年前の十和田火山の噴火活動で中央部が陥没した地形となり、3万5000年〜1万5000年頃の巨大噴火で水が流入してカルデラ湖が形成された[8]。最大深度326.8 mは日本で3番目の深さである。湖を真上から見ると胡桃を半分に割った断面図のような形をしており、南岸には西寄りに中山半島、東寄りに御倉(おぐら)半島が突き出している。中山半島の西側付け根近くには恵比寿大黒島と呼ばれる小島が存在する[9]。


東岸からは唯一の流出河川である奥入瀬川が太平洋に向けて流れ出ている[8]。十和田湖への流入河川は銀山川、大川岱(おおかわたい)川、鉛山川、宇樽部(うたるべ)川、神田川などがある[10]。


御倉山(溶岩ドーム)のある御倉半島と中山半島の間にある中湖(なかのうみ)とよばれる水域が最深部であり、御倉山の東側の東湖(ひがしのうみ)や中山半島の西側の西湖(にしのうみ)と呼ばれている水域の水深は50 - 100 m程度である。



ウィキソースに県の境界にわたる市町の境界の確定の総務省告示の原文があります。


衛星写真

なお、江戸時代より郡の境界が不明確で、明治維新後も十和田湖面上の青森県と秋田県との境界は長らく決まっていなかった。2008年8月29日に青森市で開かれた北海道・北東北知事サミットにおいて、青森・秋田両県と沿岸の関係市町が、湖面の境界線を青森県6:秋田県4という割合で県境を画定することで最終合意した。同年11月14日に確定し、12月25日に官報で告示された。これにより、1871年の廃藩置県以来、137年目にして県境が決定した。


具体的には、湖の北側にある御鼻部山の頂上から、西側の尾根に当たる桃ノ沢河口と87林班東端の中間点を直線で結び、南側は神田川河口を県境とする。これにより61.02km2の十和田湖は、青森県十和田市に36.61 km2、秋田県小坂町に24.41 km2が割り振られ、その分の地方交付税交付金(年間総額約6700万円)も増額分配される。なお増額分の交付金は、十和田湖の環境対策や観光振興に使われる[11]。


「十和田火山」の噴火史[編集]


十和田カルデラの地形図


カルデラ壁

十和田湖は火山の山頂部に水がたまったカルデラ湖である。中世以降は噴火の記録が無いものの、「十和田火山」として防災行政の監視対象になっている[12]。大規模な噴火が将来起きた場合、火砕流が岩手県北西部を含む最大30 km圏内に到達し、火山灰や噴石はさらに広範囲に被害を与えるとのハザードマップが公表されている[13]。


先十和田火山の活動が約160万年前~60万年前以前に見られる。約40万年の活動空白期を挟んで、十和田火山が約22万年前から活動を開始した。その活動ステージは22万年前~6.1万年前の先カルデラ期、6.1万年前~1.55万年前のカルデラ形成期、1.55万年前~現在の後カルデラ期に分けられる。


22万年前から6.1万年前の先カルデラ期は、安山岩の溶岩流や軽石・スコリアを噴出した。


約10万年前からマグマの噴出量が増加し、約6.1万年前の噴火エピソードQ(奥瀬火砕流, 4.76 DRE km3以上)から低頻度で、流紋岩の大規模な火砕流を伴うカルデラ形成期となった。この活動期のうち、約3.6万年前の噴火エピソードNと(大不動火砕流, 17.87 DRE km3)、約1.55万年前の噴火エピソードL(八戸火砕流, 20.34 DRE km3)は特に規模の大きな噴火で、大不動火砕流や八戸火砕流は現在の青森市街まで到達している[14]。


噴火エピソードLから現在は後カルデラ期と定義されている。この後カルデラ期では、カルデラ形成期と比べると噴火の発生が高頻度で、1イベントの噴出量が数km3DRE以下の活動となっており、デイサイトのプリニー式噴火・溶岩ドーム形成が主となっている[15]。


約1万年前に十和田カルデラの東南部で噴火によってカルデラ内部に五色岩(または五色台)火山が形成された[注釈 1]。五色岩火山は初期に玄武岩を噴出し山体を成長させた。その後、安山岩・デイサイトを経て流紋岩を噴出するようになった。それに伴い爆発的噴火が多発し火口を拡大していった。そして、約6200年前の噴火エピソードC(中掫軽石, 2.52 DRE km3)で火口壁が崩壊し第一カルデラの湖水が火口に流入した。これにより中湖ができたと考えられている。


有史以降[編集]

915年(延喜15年)、大噴火(噴火エピソードA)を起こした。マグマ噴出量は2.1 DRE km3[16]。火山爆発指数はVEI5。この際に御倉山溶岩ドームが形成された。この噴火は過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる[17]。この噴火を直接記録した文献記録は現地では見つかっていないとされている[17]。京都で著された『扶桑略記』には朝日に輝きがなく月のようだったという記録がある[8]。


この噴火により大規模な火砕流(毛馬内火砕流)が生じ周囲20 kmを焼払った[17]。噴出物(主に火山灰)は東北地方一帯を広く覆い、甚大な被害をもたらしたと推定される。十和田火山の噴出物は通常偏西風に乗り十和田湖の東側に流れるが、この年の噴火では十和田湖の西側に流れている。これは夏のこの地方の気象現象であるやませが原因であると考えられている[18]。東の三本木原は昔の十和田火山の噴出物でできているが、やませのため西側に降下した噴出物はラハールとなって米代川を流れ下り、流域の人家を埋没させた。胡桃舘遺跡は、この折に埋没した住居の跡である。これら大災害を人々は三湖伝説として語り継いだと考えられている。一方で、噴出物により広大な砂地が形成された結果、人々の居住に適した環境が整い居住者の増加に影響を与えた[19]と考える研究者もいる。


常時観測火山[編集]

2016年12月1日より十和田は気象庁の常時観測火山に指定された[20]。


湖と環境[編集]

水質[編集]

かつて十和田湖西岸には17世紀中頃に発見された鉛山鉱山と十輪田鉱山があり、鉛や亜鉛、銅を産出していた。この廃鉱山からの流入水は現在も湖水の亜鉛含有量に影響を与えていると考えられる[21]。


生物[編集]

十和田湖周辺は冷温帯林(ブナ林)や亜寒帯林(ダケカンバ林)が広がり、クマタカやイヌワシ、ツキノワグマといった野生動物や森林性の野鳥(シジュウカラ、ゴジュウカラ、アカゲラ、コゲラなど)が生息する。水鳥(ホシハジロ、キンクロハジロ、ホオジロガモ、カイツブリなど)も飛来する[22]。


これら鳥獣の生息が重要であることから、国指定十和田鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積37,674 ha、うち特別保護地区19,366 ha)。


2008年4月、同湖で死んだハクチョウ3羽と衰弱したハクチョウ1羽が見つかった。同月23日簡易検査で鳥インフルエンザと推定されたため、同月27日動物衛生研究所(茨城県つくば市)で再検査したところ鳥インフルエンザウイルス強毒性のH5N1亜型が検出されたと秋田県と環境省が同月28日に発表した。


生息魚介類[編集]

火山火口にできたカルデラ湖であるため、人間が魚の放流を開始する以前に生息していた魚介類はサワガニのみと考えられている。従って、現在生息している魚類の全てが人為放流された物である[23]。記録に残る最初の放流は、1855年のイワナとされている[23]。1960年代に行われた調査では、下記が確認されている。


魚類:ヒメマス、ニジマス、イワナ、サクラマス、コイ、フナ、ウナギ、カジカ、ヨシノボリ、ワカサギ

サクラマスは奥入瀬川の銚子大滝に作られた魚道を通って天然魚が遡上して定着したが、「ヒメマスが捕食され繁殖を阻害する」との理由で魚道は破壊された。現在生息しているサクラマスは、その時に湖中に残された個体の子孫と考えられる[24]。

ニジマスは、1900年と1919年に日光の中禅寺湖から移入された[23]。

ウグイ、アユは定着に失敗した。

甲殻類:スジエビ、サワガニ

スジエビは、1905年に八郎潟から移植され定着した[25]。


十和田湖湖畔の食堂のメニュー ヒメマスの塩焼き

ヒメマスなどは漁業や釣りの対象となっている[26]。


ヒメマス養殖[編集]

1903年に和井内貞行らによりヒメマスの最初の放流が行われた。十和田湖へのヒメマスの定着以降は、本州各地の湖への移植用卵及び稚魚の供給源として中禅寺湖とともに重要な位置を占めている。1960年或いは1967年の調査で、流入河川ではなく湖底に産卵床を形成し産卵していることが確認されている。また、1975年と1976年に行われた調査では「漁獲魚のほとんどが放流魚の可能性が高い」との結果が得られたが、1945年前後は放流が全くなかったにも拘わらず、相当量の産卵が行われていた時期もある[27]。湖畔の秋田県側の小坂町の生出(通称:和井内)地区には、ヒメマスの孵化場がある。


歴史[編集]

歴史[編集]

十和田湖にはマタギ(猟師)にまつわる伝説もあるほか、湖畔の中山半島にある十和田神社は坂上田村麻呂が平安時代初期の大同2年(807年)に創建したとの説もある[28]。


十和田神社は中世に山伏が修行し、江戸時代には南部藩の霊場となっていた[29]。それは、三湖伝説で語られる南祖坊(なんそのぼう)が、湖の主であった八郎太郎を追い出し、龍神に姿を変え湖の主として十和田湖に身を沈め青龍権現となったとされ、十和田湖はその青龍権現を祀る神仏習合の霊山として、近畿の熊野権現や関東の日光東照宮に比すべき北東北最大の山岳霊場であった[30]。


近世以降は1665年(寛文5年)に鉛鉱、1719年(享保3年)には銀鉱が発見され十和田鉱山で知られるようになった(1897年廃坑)[8]。


1807年(文化4年)菅江真澄は鹿角方面から鉛山峠を越え青龍権現を参拝し、人々の参拝の様子を『十曲湖』に記録した。 1849年(嘉永2年)松浦武四郎は北海道からの帰路、奥入瀬方面から青龍権現に参拝し、発荷峠を越え鹿角地方に抜けその記録を『鹿角日記』に記録した。


江戸時代は青龍権現への巡礼者は積雪期には里に戻っていた。1869年(明治2年)栗山新兵衛は十和田湖の休屋地区を初めて開拓をし通年で滞在した。彼以来、移住者が休屋や休平を開拓していった。


1872年(明治5年)に廃仏毀釈運動により、修験道は禁止され、霊山としての十和田湖は大打撃を受けた。十湾寺を十和田神社として青龍大権現を外に移して、祭神をヤマトタケルと申し立てたが認められず、1873年(明治6年)奥瀬の新羅神社に合祀され、御堂は取り壊された。2年後に復社が許され御堂の跡地にささやかな社殿が建てられたが、十和田信仰は大きな打撃を受けた[30]。


1905年(明治38年)に和井内貞行はヒメマスの養魚事業を成功させた。さらに、彼は観光事業にも先鞭を着けた。


1908年(明治41年)に文人の大町桂月が初めて十和田湖を訪れ、1921年から1923年にかけて周辺を探勝し、その素晴らしさを紹介して以降は、風光明媚な観光地として知られるようになった[8][31]。観光に訪れる客の玄関口となった国鉄三沢駅(当時は古間木駅)には上流階級の使用を想定した貴賓室が設けられた[32]。


景勝地の十和田湖を全国に紹介した大町桂月、十和田湖観光開発に尽力した法奥沢村村長の小笠原耕一と、青森県知事の武田千代三郎の3人は、十和田湖への功労者として特に有名で、1953年(昭和28年)御前ヶ浜に3人の顕彰碑として「乙女の像」が建てられた[30]。


1914年(大正3年)、気動遊覧船「南相丸」が就航した[33]。


奥入瀬川の水源を利用した十和田湖周辺の開発は江戸時代末期から行われていた(1855年(安政2年)には新渡戸傳が私財を投じて三本木原野を開拓している)[8]。一方、1930年代には国立公園制度ができたものの十和田湖周辺では1928年(昭和3年)に農林省の三本木原開墾事業計画が立てられ地元では自然保護派と推進派が対立していたため指定は見送られた[8]。粘り強い運動により1936年(昭和11年)に国立公園に指定され、翌年には自然保護と灌漑・発電の両立のため「奥入瀬川河水統制計画」が策定された[8]。


1939年(昭和14年)10月、遊覧船が火災を起こす。乗船していた国鉄浅虫駅駅長ら2人が行方不明[34]。


1968年(昭和43年)に、現在の国土地理院の地形図に記載されている、中湖の岸辺、中山半島の先の方にある蝋燭岩が、十勝沖地震の時に折れて水中に没している[35]。


2003年 - 2004年ごろの300万人をピークに観光客は減少を続け、特に東日本大震災のあった2011年には大きく数を減らした。その後回復傾向にあるとはいえ、2014年でも最盛期の2/3に満たない[36][37][38]。この影響で、宿泊施設[39] や土産物屋の休廃業が相次ぎ、これらが集まる休屋地区は「廃屋通り」と呼ばれるほどの惨状を呈している[40]。こうした現状を打破すべく、環境省と地元関係団体は「国立公園満喫プロジェクト」[41] において「十和田八幡平国立公園 ステップアッププログラム2020」[42] を策定し、再開発に乗り出した。


2021年には東京2020オリンピック聖火リレーの青森県内コースに選ばれ、6月11日に十和田湖観光交流センター「ぷらっと」から「乙女の像」 まで聖火ランナーがトーチをつないだ[43][44]。


観光[編集]

十和田神社

十和田神社

十和田湖遊覧船

十和田湖遊覧船

複合艇による遊覧ツアー

複合艇による遊覧ツアー

ブロンズ像 乙女の像

ブロンズ像 乙女の像

十和田神社が所在し、現在も観光施設や行政・公共機関(郵便局や学校など)、民家が多いのは、湖南岸で中山半島西側付け根の休屋地区(青森県十和田市)である。JRバス東北の十和田湖駅や遊覧船乗り場など交通結節点であり、環境省の十和田ビジターセンター[45] や旅館・ホテルなどがある。十和田科学博物館は休館中[46]。


湖畔には1953年(昭和28年)に建てられた高村光太郎作のブロンズ像「乙女の像」があり、台座には国立公園化の実現に寄与した大町桂月、武田千代三郎、小笠原新一の功績が刻まれている[8]。湖岸ではこのほか、青森県十和田市側の宇樽部、子の口や、湖の西南岸や西岸の秋田県小坂町側にも旅館・ホテル、キャンプ場、集落がある。十和田湖畔温泉としていくつかの旅館・ホテルでは温泉に入浴できる。秋田県側の十和田プリンスホテルは十和田湖西湖畔温泉を称している[47]。湖を取り巻く山々の幾つかには、湖面を見下ろせる展望台が設けられている。


青森・秋田県境にあるため、土産物屋では青森の特産物(リンゴなど)と秋田の特産物(きりたんぽや樺細工)とが両方販売されている。


十和田湖の観光は団体旅行客が主力であったが、観光が個人客に中心にシフトするにつれてホテル等の施設が対応できないまま陳腐化。2010年代に入ると東日本大震災などによる宿泊客の落ち込みもあり、休屋地区の宿泊、売店、食堂など施設の約1/3は営業できない状態となった[48]。休業中の宿泊施設は解体されるものもあったが、放置状態となり劣化、景観上から問題となるものもあった。2020年には国有地内の破綻した旧十和田観光ホテルが、環境省の代執行により解体されている[49]。


航路[編集]

湖上には観光用の遊覧船が2航路運航していたが、そのうちの1つである十和田湖観光汽船(青森県青森市)が2013年に経営破綻。2014年5月からは十和田湖観光汽船(青森県十和田市)の従業員が十和田湖遊覧船企業組合(青森県十和田市)を設立したが、この航路も2016年に廃止となった[50]。十和田湖遊覧船企業組合が事業を廃止した後も遊覧船は撤去されず、2017年3月時点でも放置された状態が続いている[40]。これとは別に十和田湖には十和田観光電鉄(青森県十和田市)が定期航路を開設している[50]。


2017年度(平成29年度)の十和田湖での旅客輸送実績は、定期航路が2航路で約113,700人、不定期航路が5航路で約2600人だった[51]。


イベント[編集]

毎年1月下旬(2月上旬) - 2月下旬には休屋で「十和田湖冬物語」が開催され、雪像やかまくらなどを見ることができる[52]。また、20時頃から冬花火も打ち上げられる。ただし、この時期は近隣の国道102、103、394、454号、青森県道40号の一部区間が冬季閉鎖や夜間交通規制の対象となるため、来場する際は注意が必要である。特に18時以降は八甲田山周辺の通行ができないため、冬花火を見るなどしてこの時間帯に青森方面や黒石方面へ帰る場合は小坂インターチェンジ方面か十和田市方面へ大きく迂回する必要がある。


毎年7月の第3金・土・日曜日には「湖水まつり」が開催され、また7月下旬の日曜日には十和田湖一周道路(約50 km)を約12時間かけて歩く「十和田湖ウォーク」が行われる。


アクセス[編集]

鉄道下車駅 乗車路線 所要時間 下車停留所

東北新幹線盛岡駅 岩手県交通盛岡・十和田湖号 約2時間15分 十和田湖下車

東北新幹線八戸駅 JRバス東北おいらせ号 約2時間20分 十和田湖下車

東日本旅客鉄道(JR東日本)/青い森鉄道青森駅 JRバス東北みずうみ号 約3時間 十和田湖下車

花輪線十和田南駅 十和田タクシー八郎太郎号(デマンドバス) 約1時間 十和田湖下車

空港

大館能代空港より乗合タクシー(愛のりくん ・十和田湖号)[53]

十和田湖休屋・西湖畔下車(1時間55分 )

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

^ 五色岩には酸化鉄が含まれている。このため色付いて見える。

出典[編集]

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関連項目[編集]


ウィキメディア・コモンズには、十和田湖に関連するカテゴリがあります。

休屋(当湖南岸にある観光地)

奥入瀬渓流

日本新八景

日本の湖沼一覧

十和田湖観光汽船

三湖伝説

稲生川

青森県の観光地

秋田県の観光地

美しい日本の歩きたくなるみち500選

トワダ湖 - 土星の衛星・タイタンにある湖。十和田湖にちなんで命名された。

一式双発高等練習機 - 北部第74部隊(北方軍指揮下の内地部隊の通称号)所属と見られる1機が1943年(昭和18年)9月27日に墜落。2012年(平成22年)9月5日に湖底から引き揚げられた。機体は青森県立三沢航空科学館に展示され、同年11月1日から一般公開されている。

とわだ型補給艦・とわだ (補給艦)

発荷峠

外部リンク[編集]

十和田 - 気象庁

十和田の火山観測データ 気象庁

十和田の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料 気象庁

十和田の最近(2ヶ月間)の日別地震回数表 気象庁

日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 十和田 (PDF) - 気象庁

日本の火山 十和田 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター

社団法人十和田湖国立公園協会

みなとオアシス十和田湖

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屈斜路カルデラ

 


屈斜路カルデラ

主な火山活動

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屈斜路湖


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曖昧さ回避 「クッチャロ湖」とは異なります。

屈斜路湖


美幌峠から見た屈斜路湖

屈斜路湖の位置(北海道内)屈斜路湖

屈斜路湖 (北海道)

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地図Wikimedia | © OpenStreetMap

北緯43度38分0秒 東経144度20分0秒座標: 北緯43度38分0秒 東経144度20分0秒

面積 79.54[1] km2

周囲長 57 km

最大水深 117.0 m

平均水深 28.4 m

貯水量 2.25 km3

水面の標高 121 m

成因 カルデラ湖

淡水・汽水 淡水

湖沼型 酸栄養湖

透明度 6.0、1917年の測定では 20m m

 プロジェクト 地形

テンプレートを表示

屈斜路湖(くっしゃろこ)は、北海道東部(道東)の弟子屈町に位置する自然湖。日本最大のカルデラ湖で[2]、全面結氷する淡水湖としても日本最大の面積を持つ[3]。1934年(昭和9年)、全域が阿寒国立公園に指定された。


名称の由来[編集]

アイヌ語で喉口、転じて「沼の水が流れ出る口」を意味する「クッチャラ[4]」に由来し、この湖の「クッチャラ」近くにあったアイヌの集落(コタン)「クッチャロ」に和人が字を当てたとされる[5]。


地学的知見[編集]

藻琴山、サマッカリヌプリなどを外輪山とする東西約26km、南北約20kmの日本最大のカルデラである屈斜路カルデラの内側に約3万年前に形成された[2]。日本の湖沼では6番目の面積を有し、平均水深は28.4m、カルデラ湖としては浅いほうだが、和琴半島東岸の旧噴火口にある最深部は117m[6]または125m[3]。



人工衛星から撮影した屈斜路湖

湖中央部には、日本最大の湖中島である中島(面積5.7km2、周囲12km)が浮かぶ。中島は直径約1.4kmのタフリングを持っており、その中に貫入している溶岩円頂丘が最高点((355m)となっている。南岸には和琴半島が突出する。中島と同様、火山の山頂が湖中島になったものであったが、尾札部川の扇状地から成長した砂州により陸繋島となった。


周囲から小河川が流入し、南端から釧路川が流れ出す。河川からの流入は、湖に入る全水量の20パーセントほどで、残りは地下から湖底に入っている[7]。


道北にあるクッチャロ湖とは、呼び名が似ていることから混同されがちであるが、全くの別の湖である。ただし、語源は同じである。


島 : 中島

流入河川 : 湯川、尾札部川、オンネナイ川、跡佐川、トイコイ川、オンネシレト川、シケレペンベツ川

流出河川 : 釧路川

屈斜路カルデラ[編集]


地形図(右は摩周カルデラ)

初期の屈斜路湖は面積が現在の倍ほどあり、ほぼ円形の湖だったと考えられる。現在のカルデラは、東西約26km 南北約20kmで日本最大。


約160万年から100万年前 先カルデラ火山を形成した。その名残が屈斜路湖北側にある藻琴山。

約40-4万年前 カルデラを形成する活動が起き、10回程度の大規模火砕流噴火を繰り返す。

約12万年前 最大級の噴火を生じ、その火山灰(クッチャロ羽幌と呼ばれる広域テフラ)は札幌以西を除く北海道のほぼ全域を覆った。

約4万年前 約12万年前の噴火に次ぐ大規模な噴火が生じ、クッチャロ庶路テフラを形成。

約4万年前~現在 中島やアトサヌプリ(別名「硫黄山」)、摩周火山を生じる活動により溶岩円頂丘群が噴出してカルデラ湖の南東部を失い、空豆状の現在の形になった[8]。

主な火山活動[編集]

大きく分けて古梅溶結凝灰岩前の先カルデラ期、古梅溶結凝灰岩以後-Kpfall I噴火以前のカルデラ形成期、Kpfall I噴火以降の後カルデラ期に分けられる[9]。

年代 イベント名・噴出物 噴出量

(DRE km3) 主な岩石 噴火様式 ステージ

400ka 古梅溶結凝灰岩 32 デイサイト 火砕流 屈斜路

カルデラ

形成期

210ka Kp VIII噴火 18 デイサイト-流紋岩 火砕流

200ka Kp VII噴火 6 火砕流

190ka Kp VI噴火 36 火砕流

130ka Kp V噴火 18 火砕流

117.5ka Kp IV噴火 84 火砕流

97ka Kpfall V噴火 3.6 降下火砕物

89ka Kpfall IV噴火 3.6 降下火砕物

87.5ka Kp II/III噴火 12 火砕流

76ka Kpfall III噴火 4.5 降下火砕物

59ka Kpfall II噴火 3 降下火砕物

39.31ka Kp I噴火 60 火砕流

38.84ka Kpfall I噴火 5 降下火砕物

34ka以降 アトサヌプリ外輪山溶岩 (3.8に一括) 安山岩 溶岩流 古期アト

サヌプリ

火山

オヤコツ山円頂丘溶岩 溶岩ドーム

252m山円頂丘溶岩 溶岩ドーム

30.74ka 上部中春別gテフラ 1.38 デイサイト 降下火砕物 アトサ

ヌプリ

カルデラ

形成期

29.94ka 上部中春別eテフラ 2.64 デイサイト 火砕流、降下火砕物

28.82ka 上部中春別cテフラ 0.08 デイサイト 降下火砕物

28.21ka 上部中春別aテフラ 0.44 デイサイト-流紋岩 火砕流

27.662ka Midk-2〜5テフラ 0.24 降下火砕物

27.64ka 茶内cテフラ 4.14 デイサイト〜流紋岩 火砕流、降下火砕物

15ka Midk-1テフラ 0.18 降下火砕物

10ka〜現在 中島火山噴出物 0.6(合計) デイサイト-流紋岩 溶岩ドーム、降下火砕物、サージ 新期

アトサ

ヌプリ

火山群

10ka-5.5ka サワンチサップ円頂丘溶岩 (3.8に一括) デイサイト 溶岩ドーム

オプタテシュケ円頂丘溶岩

トサモシベ円頂丘溶岩

ニフシオヤコツ円頂丘溶岩

274m山円頂丘溶岩

丸山円頂丘溶岩

ヌプリオンド円頂丘溶岩

5.5ka リシリ山円頂丘溶岩 降下テフラ、火砕流→溶岩ドーム

5.5ka-1.5ka At-c噴火 降下テフラ

5.5-1.5ka マクワンチサップ円頂丘溶岩 (3.8に一括) デイサイト 溶岩ドーム

アトサヌプリ古期円頂丘溶岩

1.5ka At-b噴火 水蒸気爆発:降下火砕物

1.5-1ka アトサヌプリ新期円頂丘溶岩 (3.8に一括) デイサイト 溶岩ドーム

AD1000以降 At-a噴火 水蒸気爆発:降下火砕物

後カルデラ期(34〜0ka)に合計4.8 DRE km3の火砕流堆積物と、3.8 DRE km3の溶岩、0.02 DRE km3の降下火砕物を噴出したとされている[9]。

屈斜路カルデラ東縁に摩周火山が形成されているが、噴出物の成分の違いから別火山と考えられている。

生物相[編集]

アトサヌプリや川湯温泉から強酸性(pH2前後)の温泉水を運ぶ湯川が北東部に流入し、屈斜路湖全体もpH5前後の酸性湖となっているため魚類は乏しい。


過去には魚類が豊富だった時期もあった。江戸時代の終わり頃、1858年(安政5年)に松浦武四郎が通りかかったときにはイトウ、ウグイ類、ヒメマスがいた。1917年(大正6年)の調査では、イトウ、ウグイ、アメマス、ヤマベ、カジカ、イトヨに加え、サケが遡上していた。植物プランクトンが多く、セキショウモやヒルムシロのような水草が生えていた[10][11]。


この状況は1929年(昭和4年)頃に一変した。この年、多くの魚種が消えるか局地的にしか見られず、水草は稀になっていた。湖水表面のpHは4.9から5.1で酸性を呈した。この後、1934年(昭和9年)頃には一時期酸性度が弱まり pH 6-7 程度まで回復し[12]、魚類の回復もみられたが、1938年(昭和13年)5月の屈斜路地震で湖底から硫酸塩が噴出したとみられ、pH4前後まで酸性に傾き魚類はほぼ全滅した[13]。


このため屈斜路湖では現在でも漁業権が存在しない。2000年代以降酸性度は低減される傾向にあり、優占種は耐酸性に優れたウグイで他には放流されたニジマス、ヒメマス、サクラマスが僅かに生息する[14]。


また、和琴半島はミンミンゼミ生息の北限地であり、1951年に「和琴ミンミンゼミ発生地」として国指定の天然記念物となっている。オオハクチョウの飛来地としても知られる。


人間史と観光[編集]

江戸時代の探検書・古地図には「クスリ・トー」(アイヌ語で「温泉」「薬の湖」の意)と書かれていた。その後、釧路川源流付近にあったコタン名「クッチャロ」(「喉」「口」「湖からの流出部」の意)から現在の屈斜路湖となった[10]。


冬季には、2月になると全面結氷し[15]総延長5-10km程度[16]の日本最大級となる鞍状隆起現象 御神渡り が形成される[17][18]。


伝説[編集]

アイヌの伝説では、英雄オタストゥンクㇽ、あるいはオキクルミが巨大なアメマスを捕らえて湖畔の山に結びつけたが、暴れるアメマスは山を引き抜き、自身はその山の下敷きになってしまった。その山が現在の中島である。アメマスはいまだ死にきれず、時に暴れる。そのため、道東地方は現在でも地震が多いという[19]。


昭和50年代(1975年から1985年頃)に大きな影が遊泳する様子や湖面の波紋が立て続けに目撃され、この湖に巨大な未知の生物が棲んでいるという噂がテレビなどで取り上げられた。ネッシーにならってクッシーと名付けられた[19]。とはいえ、酸性が強いこの湖に大型水生生物が存在する可能性は無いとされる。実際、近年は目撃情報は途絶えてしまっている。


温泉[編集]

火山地帯であることから、周囲には火山や温泉が多数存在し、湖岸を掘ると湯が湧き出す砂湯は観光名所となっている。また湖底からも温泉が噴出している[20]。弟子屈町周辺に名湯スポットが点在している。 


屈斜路湖畔温泉郷

仁伏温泉

和琴温泉

三香温泉

コタン温泉

池の湯温泉

砂湯温泉

川湯温泉(湖畔からは若干離れている)

交通[編集]

国道243号

北海道道52号屈斜路摩周湖畔線

阿寒バス

釧網本線:摩周駅、川湯温泉駅通

石北本線:美幌駅、網走駅

女満別空港

定期観光バス

騒音苦情などを受けて、湖面への個人による動力船(モーターボートや水上バイク)の乗り入れが2021年10月から原則禁止される[21]。

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